横山源之助
更新日:2023年06月30日
明治の名著『日本の下層社会』の著者 横山源之助(よこやまげんのすけ)は、当時の魚津町に生まれました。常に貧しい人に目を向け、貧困からの脱却と救済を訴え多方面に文筆活動を展開しました。
明治・大正期ジャーナリストの先覚者
魚津市立図書館蔵
1871年(明治4年)2月21日、魚津町の網元(漁師)の子として生まれ、同町の左官職人 横山家の養子になりました。魚津町の名士の澤田六郎兵衛宅へ奉公に出た後、富山県で最初の中学校である富山県中学校(現県立富山高校)に入学しますが中退して上京、弁護士を志します。このとき、二葉亭四迷や松原岩五郎らと交流します。
弁護士をあきらめた源之助は日清戦争が始まった1894年(明治27年)、横浜の新聞社に入社し、労働問題や貧困の実態を取材して記事や本にしました。1899年(明治32年)、28歳で『日本之下層社会』『内地雑居後之日本』刊行後、帰郷し退社します。魚津では小川寺心蓮坊で静養生活を送りますが、翌年農商務省の嘱託となって上京し労働調査を行いました。1903年(明治36年)以降は文筆業に専念し、『中央公論』『公民之友』などに多数寄稿しました。貧困問題を解決したい思いから、海外への殖民に関心を抱き、調査のため1912年(明治45年)ブラジル渡航を果たし、のちに『南米ブラジル案内』を刊行しました。 1915年(大正4年)6月3日、44歳で亡くなりました。
『日本の下層社会』
1899年(明治32年)新聞記者として実態調査、視察したものをまとめた一冊です。東京の貧民窟、桐生、足利の織物工業、富山の小作人など貧困にあえぐ人々の実態を統計も交えて訴えるルポルタージュです。
郷土コーナーの一角に、横山源之助コーナーを設けており、「横山源之助全集」などで読むことができます。
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魚津市立図書館蔵
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横山源之助コーナー